2011年9月29日木曜日

比較の罠

他人の悪口を言っている人、

鬱になってしまう人、

くだらない派閥を作ろうとする人などの

根はすべて同じだ。


他の人と自分を比較して、

その比較結果が思考の中心にすえられてしまっていること。

自分の中に明確な芯がなく、

受動的にブレてしまうのであろう。



鬱の人は
他人のことを自分のこと以上に見て、気にしている。
そして、その比較結果から自分の状態を嫌がって、

自分を責めて、余計に自分の心を自傷する。
それが、負のスパイラルになるのである。
他人のことを意識するがゆえのことである。


少しでも自信を持っている場合、

優れている、劣っていると

比較して、優越感に浸ったり、

劣等感に苛まれて、

他人の悪口を言って自分の状況を

正当化することで自分を慰める。



自分の意識レベル、経済レベルなど

自分が快適と思われるグループを

作って、他者もしくは他のグループ

と比較して抗争する。

もしくは、グループ内で優劣など

階層を作って安心感を得る。



多かれ少なかれ誰でも持つ性ではあるかもしれないし、

人間だから比較するのは当然である。

事象を理解するためには比較する事が必要だからである。

例えば、大きい、小さいは

何と比らべて大きいのか小さいのか?

と比較する必要がある。


しかし、比較しすぎて、その比較結果で

自分の心がぶれるのは良くないように思う。


自分の周りでお付き合いさせて頂く方々の多くは

ブレることが少ないように思う。

自己に確固とした軸があり、

その軸は価値観やそれを基にした行動の結果、

パフォーマンスに関して自信から生まれている。

他人が大きくても、小さくても

自分自身のサイズが影響されることがない。


他者が成功したとしても妬みもあまり抱かない。

なぜなら、自分自身のバリューに基づいた、

戦略と行動には影響しないから、

羨ましいと思ったとしても、それでは軸はブレないのである。

影響を受けたして、それを自身の行動にどのように生かすかを

考えるのである。


今現在、比較をしなければならない状況である。

正確に分析、理解するためには、比較が必要である。

しかし、その比較結果で心がブレることなく、

自分自身を静観して、自分の価値観に基づいた軸を持って、

意思決定、行動したいと思ってる。




















ふと、そんな事を思いました。


















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