自分でわかっている必要があります。
(中略)
手に入れたいものとして、自由だと答える人も多いでしょう。
妨害されたりしないこと、自分の意思で発言・行動すること、などです。
わたしは、「選べること」が自由だと、個人的にそう思っています。
考え方を選ぶことができるということです。
自由な人生とはどういうものでしょうか。
たとえば、会社や家に縛られないホームレスの人たちは
自由な人生を送っていると言えるでしょうか。
ホームレスの人たちは自由かも知れません。
答えはまったく違ってきます。ホームレスの人たちは、
お腹が空いても、どこで何を食べるか選ぶことができません。
お腹が空いても、どこで何を食べるか選ぶことができません。
選べません。ホームレスの人たちは、恐ろしく不自由な生活を送っているのです。
自由、つまり何かを選ぶというは、重苦しい場合もありますが、
長い人生で、もっとも重要な選択は何でしょうか。
それは、自分はどういう生き方するのか、
どうやって生きていくのか、ということでしょう。どうやって生きていく
のか、という問いは、どう社会とかかわっていくか、
のか、という問いは、どう社会とかかわっていくか、
JMM [Japan Mail Media] No.577 Extra-Edition4 より中略、抜粋
一部分だけ抜き出しているので、全体としての表現に違和感が
生まれてる可能性があるが、この自由の定義について考えた。
10年近く前に、AUSに住んでいた時、友人のSが突然死んでしまった。
心臓にサッカーボールがあたって、そのまま心臓が止まってしまった。
信じられないような状況、泣き崩れる彼女や両親の横で、
体格が近いから遺品の服の多くをもらった。
その後、数年間、ほとんど、それらの服を着て過ごした。
それはそれを着る以外、選択肢を持つ事ができなかったからだ。
それは、勿論、Sの事を思ってる部分もあったが、
それよりも、実際のところ、服を買う金がなかった。
選択するにはそれ相応の力が必要だと思った。
自由が選択できる事だとして、力がなくては選択できないとする。
故に、相応の力がないと自由を手に入れる事はできない。
この世の自由という概念の一つの側面だと思うが、
若い時はわからないでいた。
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