2010年4月29日木曜日

アジアと米国におけるアウトバウンド型M&A戦略に関してのフォーラム 

先日、日経主催、経済産業省後援、

外資系コンサルや法律事務所協賛の

‘‘アジアと米国におけるアウトバウンド型M&A戦略‘‘

というフォーラムに出席したが、

クロスボーダーM&Aに関して、欧米企業との

経営判断上の差異や独禁法、規制などの行政レベルでの問題点

など非常に分かりやすかった。

今後の展開のみならず、論文の参考にもなると見ている。

今後、日本という国がどういう状況になるか?

有識者の見解を知っておくのは個々の戦略上、

非常に有効と考えている。


世界における日本という国のプレゼンスの低下が著しい、

小泉の改革、民主党の政策、

外圧を考えれば、中国を始めとする新興国の躍進、

英米の主導するIFRS国際会計基準の裏に潜む搾取など

状況を勘案すると、


今の世の中は幕末に酷似していると考えている。

ヴィジョンとそれを現実化する方法を示せる

リーダーが求められているが、

日本にそれが現れて、活かされるには、


一度、現状の枠組みが、自壊、破綻するか、

強烈なインパクトを与える何かが起こらなくては

ならないかもしれない。

と考えている。

2010年4月14日水曜日

アイマスク WORLD RECORD





テレビ番組でも紹介されていたようだが、


装着後、蒸気で温かくなるという商品、


寝付くのに10秒もたないと、コメントされてたの事。


10秒はないでしょうーと、なめていた。


疲れてたという事もあると思うが、


装着後、



アイマスクが温まり始めるその前に



落ちていた。。。。



時間にすると約0.05秒。。。。



WORLD RECORD ??










The Dumpster Diver




夏も来るので、サーファー仲間達向け、自分向けに

個人事業のBohemian Tradeにて数本サーフボードを仕入れた。

On The Way の中でも一番気になっているのが、写真のこいつだ。


Dane Reynoldsからのフィードバックによってデザインされたモデル


;The Dumpster Diver

アウトラインのテンプレートはフロントがSASHIMIでリアがROOKIEから

取って合体させ、ごついスクエアテール、シングルコンケーブ。

カリフォルニアでもかなりキテルという話だ。


Dane Reynolds J-Bay '09 from Mellin Videos on Vimeo.





期待大です。

2010年4月8日木曜日

CORONAと起ち





久々にビール飲んだが、やはりうまい、(5日ぶり)。

人類の偉大な発明の一つと言っても良いのではないだろうか。

そんな中、平沼先生の新党 ‘‘たちあがれ日本‘‘。

政策の話には触れないとして、

以前、エレベーターで一緒になった時、

「君は何をしてるんだ~?ほー、ほー、頑張れ~よ」と気さくに話かけていただいた。

それ以来、人間的に好きなので、応援しようと思う。




しかし、電車の中吊りに

‘‘もう全員起たない新党‘‘ とか

でてたのには、

一人で軽く笑ってしまった。

2010年4月2日金曜日

自由の定義 by 龍

欲しいものを手に入れるためには、何が欲しいのかを、
自分でわかっている必要があります。


(中略)


手に入れたいものとして、自由だと答える人も多いでしょう。
自由にはいろいろな意味があります。
法律や道徳が許す範囲で自分が思うままにふるまうこと、
勝手気ままなこと、他の人間や組織から発言や行動を強制されたり
妨害されたりしないこと、自分の意思で発言・行動すること、などです。

わたしは、「選べること」が自由だと、個人的にそう思っています。
何をしても許されるということではなく、発言や行いや
考え方を選ぶことができるということです。

自由な人生とはどういうものでしょうか。
たとえば、会社や家に縛られないホームレスの人たちは
自由な人生を送っていると言えるでしょうか。
自由が、勝手気ままに生きることだとすれば、
ホームレスの人たちは自由かも知れません。

しかし、自由が何かを選ぶことだとすると、
答えはまったく違ってきます。ホームレスの人たちは、
お腹が空いても、どこで何を食べるか選ぶことができません。
病気になっても、病院に行くかどうか、行くとしたらどの病院に行くのか、
選べません。ホームレスの人たちは、恐ろしく不自由な生活を送っているのです。
自由、つまり何かを選ぶというは、重苦しい場合もありますが、
わたしたちが持っているとても大切な権利なのです。

長い人生で、もっとも重要な選択は何でしょうか。
それは、自分はどういう生き方するのか、
どうやって生きていくのか、ということでしょう。どうやって生きていく
のか、という問いは、どう社会とかかわっていくか、
という問いと同じです。人間一人では生きられないからです。

JMM [Japan Mail Media] No.577 Extra-Edition4 より中略、抜粋


一部分だけ抜き出しているので、全体としての表現に違和感が

生まれてる可能性があるが、この自由の定義について考えた。



10年近く前に、AUSに住んでいた時、友人のSが突然死んでしまった。

心臓にサッカーボールがあたって、そのまま心臓が止まってしまった。

信じられないような状況、泣き崩れる彼女や両親の横で、

体格が近いから遺品の服の多くをもらった。

その後、数年間、ほとんど、それらの服を着て過ごした。


それはそれを着る以外、選択肢を持つ事ができなかったからだ。

それは、勿論、Sの事を思ってる部分もあったが、

それよりも、実際のところ、服を買う金がなかった。



選択するにはそれ相応の力が必要だと思った。

自由が選択できる事だとして、力がなくては選択できないとする。

故に、相応の力がないと自由を手に入れる事はできない。


この世の自由という概念の一つの側面だと思うが、

若い時はわからないでいた。