たまたま仕事で霞が関に行ったのだが駅内に何かヤバイ雰囲気を感じた、地下鉄サリン事件の影響が残るのか、残留思念?すれ違う人々の人種が自分とは若干違うと感じる為か?もしくは気のせいか?気分が悪くなった。しかし、この駅にいるような人種がこの国を動かしているのは間違いないだろう、日本は官僚によって作り、動かされている、横に立っている30代後半の男が何をしているのか想像した、中堅テクノクラート?髪型はダサいね~、ん~気になるな~。
その後、所用を済ませて、昼食を取ろうと思ったら、目の前に吉野家のポスターに割引キャンペーン中とある。久々に行くか~。吉野家といえば必ず思い出す人がいる、吉牛の師匠(笑) 今はなき川崎駅前の伝説の喫茶店の元店長Nさん(笑)書くのを躊躇うほどの記憶だが10年前だし、別にいいだろ(笑)
現在その場所にはスターバックスが入っており、当時とのあまりの違いに正直驚きを隠せないでいる。当時、その喫茶店は完全なdificit, まっかっかの大赤字で評判もすこぶる悪く、ビル管理者側から頼むから出て行ってくれと要求されていた、もっとカッコイイブランドが確立されていて、回転率、利益率のいい店をいれたかったのだろう、正解といわざる得ない(笑)。
自分はそんな喫茶店(カフェではないな~)で遊ぶ金と食事目的でアルバイトしていて、閉店する事が話し合われ、現実実を帯びはじめ、人が抜け始めると、どさくさで料理の経験もまともにないのに、いきなりランチのシェフの大役に任命されてしまった、Nさんによって。
Nさんは営業中にちょっとミーティングに行ってくると言っては2-3時間外出して、顔をまっかっかにして、ふっらっふらでお土産をもって帰ってきたり、飲みすぎて起きれないで、ランチに間に合わないなんてのもあったし、野球のTVゲームで一点¥100という賭けが好きで、よく相手させられたりもした。
かなりめちゃくちゃな人で周りにはキチガイ扱いされていたが、よく遊びに連れて行ってもらった。その昔、全盛期のディスコの黒服をやっていて、その頃の自慢話を毎日のように聞かされて、いつも本当かよ~と内心疑っていたが、黒服時代に面倒みていた後輩で、その後、子分のいっぱいいる有名な893になってしまった人を、電話で呼び出して、一点¥100野球TVゲーム賭博をつき合わせたり、いけないモノを持ってこさせたりしていた。後輩は文句も言わず、いつもひとりで車を運転してきて、すげ~大人だな~って感心した。忙しいのですぐ帰っちゃうけど。
そんな中、Nさんはお前らたまにはメシ奢ってやるよとかいって、その後輩の管轄の店に連れていって、店員がドン引きするほどガン食いして、つけといて~とか言ったりした。店員さんの顔が気になって食べれないやつもいたが、すごいうまかったな~。今思うとまたアイツだって思われてたに違いない。
そんなNさんとは吉野家にもよく行った、Nさんは牛丼にさらに牛皿をぶっこむ、通称893食いとか、N食いととか呼ばれるSTYLEだったが、俺なんてまだまだだよ~、築地じゃ~ツメシロ、アツシロ、冷汁だよ~などど言っていた。自分も通ぶって、ツユダク・ギョクでと注文したが、か~シロウトだね~と駄目だしされた。
それから今まで何杯食べたかわからないが、Nさん元気してるかな~?俺は元気ですよ~
今日は特盛・大皿・味噌汁 N食い、ど~だ~(笑)。
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